最近塾で殺人事件が起こった。同年代の大学生が犯人だった。
何かがおかしい。
彼らのような非常識な教師(ここではアルバイト講師であるが)は、まともな教育を受けることがなかったのかもしれない。塾講師をするのだから、おそらく頭のいい、受験戦争をいくつも経験した人だろう。小さいころから受験用の勉強をしてきた、させられてきた、そんな人だと思う。
実際自分も進学校出身で、授業中には
「センター試験でよく出る」とか、
「国立大学が好む出題傾向」だとか、
そういう言葉ばかりで聞くのも嫌だった。受験勉強、受験勉強でどんな将来を思い描けるんだろう。「なぜこんな勉強をするのか?」「何のための進学か?」
そんな単純な質問に答えることのできる教師はいなかった。「将来のため」とか曖昧な表現にごまかされてきた。
高校の先生もその答えを知らないまま大学に入り、外の世界も知らないままに、たまたまついた職が教師、というのが大半なのだと思う。
「なぜ先生になったのですか?」
「入った学科で取れるのが高校の免許だったから」「他に就職先がなかったから」
そんな答えを言う先生が多く、そしてそんなのが『先生』っていうのはどうかと思う。
いま学校の教職課程の講義で現在の教育について、いくつかの班に分かれてさまざまなテーマで調査を行っている。『総合的な学習の時間について』『学力低下について』『理科離れについて』など。どうすれば分かり易い授業ができるか、生徒に興味を持ってもらうためにはどうすればいいか、そういうことを調査している人が大半だ。
何かが違う、そう思う。
なんだかよくわからないけれど、高校に入るため、大学に入るために勉強してきて、結局『何のため』という疑問には蓋をして、何のためだか分からない『勉強』を次の世代に効率よく伝える方法を研究している気がする。もっと根本的な
『教育とは何のためか?』『自分の担当科目を教える意味は何か?』
その答えを自分の中にしっかりと持つ人だけが先生になるべきだと思う。
給料をもらうために、たまたま『教師』につく人は『先生』とは言えない。芯のある、生徒に伝えたいものがしっかりと自分の中にある人だけが『教師』になるべきだ。教師という職は特別だと思う。単に受験のスキルや、科目の面白さを伝えるだけじゃない。生徒を正しい方向へと導く、多くの可能性を引き出すことのできる特別な人が教師なんだ。
『何のための教育』が分からない教師に育てられた生徒が教師になる。その悪い流れを断ち切るのは今から教師になる自分たちの世代だ。自分たちがしっかりと考えて、その答えをもって教師にならなくては変わらない。
世界を動かすのは教育の力だと思う。
教育がその国の文化を創る。教育の現場に立つ人間が素晴らしい人ならば、そこから育つ生徒はきっと素晴らしい社会を作っていける。もっとポジティブに、希望に満ちた世界を生きるために自分たちにできることを、若い力を前へ前へと、正しい方向へ教師一人一人が学校で伝えていくことができれば世界は変わると思う。
そうだ、今世界が抱える問題、課題は山積みでそれを解決するための教育があるんだって、そうも思ったけれど、それよりももっと深い部分の日本人共通の『世界観』をもっとポジティブにできれば社会全体が良くなるかも。『道徳・世界が直面している環境問題やエネルギー問題・国際的な視野・互いを尊敬し平和を求める心』そういうことを自ら率先して示していければ教える生徒の多くが無意識のうちに教師の伝えたものを実践できるはず。
きっと自分の考えはまだまだ若くて、知らないことだらけで、間違いだらけだ。だけどそのことを知って、常に成長を続ける姿勢を保てば少しずつ正しい道を歩ける。その先で次の世代に伝えていければそれは非常に価値のあることだ。
でも自分はまだまだやりたいことがたくさんあるし、見たい世界もたくさんある。もっともっと成長した先で、教師として生徒に影響を与えることのできる人になるのか、また別の形で人にエネルギーを与えることのできる人になるのか、まだ見えないけれど、ちょっと教育って何なのかが分かった気がする。
なんだかまとまりの無い文章だけど、最近教職でいろいろ考えたことを書いてみた。
これが今の意見だから。将来見返したときに、良いことも悪いことも思い出せるはず。
これから教師になる人は志の高い人であってほしい。今はまだ幼くても、常に成長する人であってほしい。そう思う。
そしてもしも、将来自分が教師になったら
『世界一アツイ教師』
として学園祭のメインステージに(毎年)立つことでしょう。