2005年12月

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今寮の4人部屋を3人で使っていますがすぐブレーカーが落ちます。
さっき一生懸命今年を振り返って文を書いたんですが全部きえてショックです・・・

長かったので短くまとめます
今年はいっぱい行動していろんな人に会いました。みんなすごい人ばかりだったので自分のヘナチョコさを身にしみて感じました。僕はもっと頑張って来年少しでも今よりヘナチョコじゃなくなろうと思います。

で落ちを書いてる途中でブレーカ落ちたのでそっからかきます(中途半端ですんません)

今日はクリスマスイブですが、今日盛り上がってるのは日本くらいのもので、一般的には明日がメインです。
一昨年の24日オーストラリアで自分だけその気になってフライングケーキを作って、実は翌日がメインのパーティだったので軽くカルチャーショックを受けたのを覚えています。

そして明日25日は初ファイヤーからちょうど2年目の記念日!
クリスマスパーティで初ファイヤパフォーマンスをしたのが生まれて初めての初ファイヤ。不思議と怖さは無かったです。
同じ農場で働いてたホンコニーズの子からもらった動画が手元にあるのですが、
『yuta君それちょっと強引すぎるよ!!』
って言いたくなる回し方してます(笑)

だいぶ成長したなぁ〜って思います。
今度オーストラリア行ったときにポイ見せたらみんなびっくりするだろうなぁ〜


今日はいつもより張り切って練習してきます!
ハッピークリスマス!

poilesson

小さい頃からいつも元気だった、近所のばっばんが亡くなった。
思えば「ばっばん」なんて方言で「ばあちゃん」って言うのは、不思議なことにばっばんにだけだった。
家からのメールを見ても、電話で話しを聞いても、実感はわかない。
信じられなくても、もう会えない。分かっているんだけど。
昨日の電話やメール、全部嘘かもしれないって思ってる自分がまだいる。

東京にきてから、地元に帰省する度に時間の流れを感じてた。
ずっと一緒にいるときは毎日何も変わってなかったけど、数ヶ月地元を離れてから戻ると
確実に時間が流れていることを実感した。

どこかの誰かが亡くなってたり、同級生に子供がいたり、昔止まっていた時間は流れ続けてる。
みんな少しずつ変化し、衰えて、死んでいく。
今目の前で元気にしていても、いつかはその日がやってくる。
何気なく話しているときに、ふっとそういう思いがよぎったりしてた。

だけど、実際に自分に近いところにいた人がいなくなると、一般的な話ではなくなる。
分かっていても、やっぱり簡単に受け入れられない。
当たり前にある体の一部が無くなったみたいに、穴が開いた気分だ。

何気ない毎日の一コマが、もう二度と現れない事を知っている。
どんなにばっばんの姿を思っても、それはもう記憶の中の話なんだ。

寂しくなるね。

突然悲しくなったり、わり切れたり、人の心は不思議で。
来週帰ってばっばんにあったらどんなことが分かるんだろう。もっと何かかわるのかなぁ

ばっばんみたいに元気な人も突然いなくなってしまう。
「なら、またね」
次も当たり前に合えると思ってたのに会えなくなってしまう。

それが昨日会った友達でも、電話で話をした親でも、別れは突然にやってくるかもしれないんだ。

いつでも『今』を大切に、『今』自分ができることを精一杯に生きるんだ。
俺を大切に思ってくれる人をもっと大切にしよう。
一緒にいる、なんでもない時間にたくさん笑っていられるように。

いなくなって初めて大切さが分かる。

そんな言葉は絶対に言わない。じいちゃんのときに感じた後悔はもうしない。

でも俺は本当に、本当にみんなを大切にしているのか?
もっと真剣に、深く自分の言葉を受け止めよう。

きっと大切な人がいなくなったときの悲しみだけは、いくつ年をとっても、心の準備をいくらしたって、
慣れることはないんだろうなぁ、と思う

俺が小さな田舎の小さな通りに生まれ、ばっばんやみんなに囲まれて育ったことは、
いつまでたっても変わらない。
俺がいくつになっても、どこに行っても、いつもそこが帰る場所だ。
いつも一緒にばっばんと墓参りに行ってたけど、これからはばっばんのところにいつも行くから。
俺がこれから見るいろんな世界の話を帰ってくるたびにしに行かんならね。

教育

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最近塾で殺人事件が起こった。同年代の大学生が犯人だった。
何かがおかしい。
彼らのような非常識な教師(ここではアルバイト講師であるが)は、まともな教育を受けることがなかったのかもしれない。塾講師をするのだから、おそらく頭のいい、受験戦争をいくつも経験した人だろう。小さいころから受験用の勉強をしてきた、させられてきた、そんな人だと思う。

実際自分も進学校出身で、授業中には
「センター試験でよく出る」とか、
「国立大学が好む出題傾向」だとか、
そういう言葉ばかりで聞くのも嫌だった。受験勉強、受験勉強でどんな将来を思い描けるんだろう。「なぜこんな勉強をするのか?」「何のための進学か?」
そんな単純な質問に答えることのできる教師はいなかった。「将来のため」とか曖昧な表現にごまかされてきた。
高校の先生もその答えを知らないまま大学に入り、外の世界も知らないままに、たまたまついた職が教師、というのが大半なのだと思う。
「なぜ先生になったのですか?」
「入った学科で取れるのが高校の免許だったから」「他に就職先がなかったから」
そんな答えを言う先生が多く、そしてそんなのが『先生』っていうのはどうかと思う。
 
いま学校の教職課程の講義で現在の教育について、いくつかの班に分かれてさまざまなテーマで調査を行っている。『総合的な学習の時間について』『学力低下について』『理科離れについて』など。どうすれば分かり易い授業ができるか、生徒に興味を持ってもらうためにはどうすればいいか、そういうことを調査している人が大半だ。

 何かが違う、そう思う。

なんだかよくわからないけれど、高校に入るため、大学に入るために勉強してきて、結局『何のため』という疑問には蓋をして、何のためだか分からない『勉強』を次の世代に効率よく伝える方法を研究している気がする。もっと根本的な

『教育とは何のためか?』『自分の担当科目を教える意味は何か?』

その答えを自分の中にしっかりと持つ人だけが先生になるべきだと思う。
給料をもらうために、たまたま『教師』につく人は『先生』とは言えない。芯のある、生徒に伝えたいものがしっかりと自分の中にある人だけが『教師』になるべきだ。教師という職は特別だと思う。単に受験のスキルや、科目の面白さを伝えるだけじゃない。生徒を正しい方向へと導く、多くの可能性を引き出すことのできる特別な人が教師なんだ。

『何のための教育』が分からない教師に育てられた生徒が教師になる。その悪い流れを断ち切るのは今から教師になる自分たちの世代だ。自分たちがしっかりと考えて、その答えをもって教師にならなくては変わらない。

世界を動かすのは教育の力だと思う。

教育がその国の文化を創る。教育の現場に立つ人間が素晴らしい人ならば、そこから育つ生徒はきっと素晴らしい社会を作っていける。もっとポジティブに、希望に満ちた世界を生きるために自分たちにできることを、若い力を前へ前へと、正しい方向へ教師一人一人が学校で伝えていくことができれば世界は変わると思う。

そうだ、今世界が抱える問題、課題は山積みでそれを解決するための教育があるんだって、そうも思ったけれど、それよりももっと深い部分の日本人共通の『世界観』をもっとポジティブにできれば社会全体が良くなるかも。『道徳・世界が直面している環境問題やエネルギー問題・国際的な視野・互いを尊敬し平和を求める心』そういうことを自ら率先して示していければ教える生徒の多くが無意識のうちに教師の伝えたものを実践できるはず。

きっと自分の考えはまだまだ若くて、知らないことだらけで、間違いだらけだ。だけどそのことを知って、常に成長を続ける姿勢を保てば少しずつ正しい道を歩ける。その先で次の世代に伝えていければそれは非常に価値のあることだ。

でも自分はまだまだやりたいことがたくさんあるし、見たい世界もたくさんある。もっともっと成長した先で、教師として生徒に影響を与えることのできる人になるのか、また別の形で人にエネルギーを与えることのできる人になるのか、まだ見えないけれど、ちょっと教育って何なのかが分かった気がする。

なんだかまとまりの無い文章だけど、最近教職でいろいろ考えたことを書いてみた。
これが今の意見だから。将来見返したときに、良いことも悪いことも思い出せるはず。

これから教師になる人は志の高い人であってほしい。今はまだ幼くても、常に成長する人であってほしい。そう思う。


そしてもしも、将来自分が教師になったら


『世界一アツイ教師』


として学園祭のメインステージに(毎年)立つことでしょう。

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土曜日に新宿のポイコミュニティ『新宿雑技団』の『ぼー燃会』
こと忘年会に行ってきました。

最高に楽しい忘年会でした。

新宿メンバーメインだけど、関東のポイやっている人が大勢集まる
素晴らしいパーティー。あれだけの人数(50人はいたのかな??)
を集め、素晴らしい音と料理、バーベキューのオーガナイズをした
ゆき姉さんをはじめいろんな人がパーティを楽しいものにするために
準備を早くから行って、片付けも遅くまでやってくださったみたいで
本当に感謝感謝です。

この興奮を伝えようとデジカメ片手にうろちょろしてると
『アキバ系だ!』
といわれました(ポイ人口は女子が少し多め)
ポイオタクだけど違います!!

あちこちに知っている顔がいてみんな楽しそう。
知らない人も「はじめまして」ですぐ打ち解ける。
たくさんの人が歓迎してくれて、みんな楽しそうに話しかけてくれる。
自分もみんなと会えて嬉しいし、話していて凄く楽しい。
みんなが自分のパフォーマンスに期待してくれて、みんなに
満足してもらえるパフォーマンスができた。
あったかくて幸せな時間をみんなで作ってる。自分も貢献してる。
凄く良いことだ。ポイの和は素晴らしい。

中学の頃から『何がしたいか?』って質問を昔はずっと考えてた。
どんな仕事がしたいんだろうって。
悩み続けて答えは出ず、何かが違うって思ってた。
違うと思いながらも俺はずっと『仕事』って形に縛られてた。

俺は人間として生まれて、これからも人間で、人との関わりのなか
で生きていく。
俺が『ポイ』をしたいのも、宮崎に帰りたいのも、カプチーノを作
りたいのも、オーストラリアに行きたいのも、すべては俺が人間で、
その先に人のつながりがあるからなんだ。

『ポイ』に感動して、その感動を人に伝えたいから、日本にその文化
を広めたいからやってるんだ。俺が一人ぼっちだったらポイなんて
半分の価値もなくなってしまう。 宮崎に帰って誰もいないんだったら
どこにいても変わらない。旅をしても人がいなければ寂しいもんだ。
俺は人間として生きていくんだ。

『生きる』ってことは人であるってことなんだ。

今の自分はそう思ってる。人との繋がりがあるからポイをして、家に
帰って、その繋がりをよりいいものに出来る知識や技術を得たいから
学校へ行き(それが本来の姿だ)、そして人のため、自分のためになる
仕事をするんだ。
どうせ『お金』を稼ぐなら時間を売るような仕事はやめよう。
お金に対する不安はなくなっても自分の中の不安は大きくなるから。
ポジティブに今を一生懸命生きていけば新しい発見は増えるし、新しい
繋がりも増える。すべては自分の知識になり生きるための技術が身に
つく。自分が成長すれば回りの人ともきっともっと楽しい時間を過ごせる。

『大人が本気で遊べばそれが仕事になる』

って高橋歩さんの本にあった(文はちょっと違うかも)
その言葉はドンドン深くなる。
きっと今のままで大丈夫だ。


ポイを発信するためにインターネットの知識や映像編集の知識
を勉強していきたいそのためにこつこつ勉強を始めた。

今キャプチャしながらFlashの勉強してるんだ。映像できたら
新しいソフトを使ってDVDオーサリングをしてみようか。
そういう話をゆき姉さんにした。

使ってる用語はかなりアキバ系だった。


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